沖縄は「琉球王国」として独立していたため、古来より日本で広まっていた神道ではなく独自の文化が育まれていました。そのため離島も含めた県内の各地に拝所(うがんじゅ)や御嶽(うたき)と呼ばれる聖域がありますが、神社は非常に少なく十数社しかありません。
今回は拝みが生活の一部となっている沖縄で、その数少ない神社を参拝してきました。
それでは琉球八社の後編をどうぞ!
◆ 琉球八社(琉球八社)とは
もともと神社の少ない沖縄ですが、その中でも琉球王府から特別な扱いを受けたのが琉球八社と呼ばれる「波上宮・沖宮・識名宮・天久宮・末吉宮・安里八幡宮・普天間宮・金武宮」の8つの神社です。
後編では末吉宮、安里八幡宮、普天間宮、金武宮をご紹介します。
◆ 末吉宮(すえよしぐう・那覇市)
大名口参道の鳥居
首里城の北西にある末吉公園内に鎮座しており、参拝には公園内を通るルートと公園北側の大名口参道の2つのルートがあります。大名口参道には苔に覆われた木の鳥居があり、そこから先は深い山道に。一歩足を踏み入れると神聖な場所であることが肌に伝わってくるほどの空気感です。
石段は登れなくなっています
琉球王国の第6代国王である尚泰久王の時代に、夢に出てきた熊野権現のお告げにより天界寺の鶴翁和尚がこの地に建てたと伝えられています。御祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉男尊(はやたまをのみこと)、事解男尊(ことさかをのみこと)の熊野権現。末吉宮跡は国指定史跡、また石造階段は沖縄県の有形文化財に指定されています。
ここをくぐって振り返ると末吉宮があります
なお社務所はありますが開くのは1年のうち数日(正月三が日と例大祭の日)とのことで、波上宮で御朱印をいただくことができます。
◆ 安里八幡宮(あさとはちまんぐう、那覇市)
安里八幡宮
琉球八社の中で唯一八幡宮を祀る安里八幡宮。保育園と公民館の敷地内にあり、生活に密着してることがうかがえる立地です。
武勇に優れた第7代国王、尚徳王が喜界島へ遠征する際に一矢で鳥を射落としたという安里の場所に、海を進む軍船の側を離れなかった梵鐘を掛けたのが安里八幡宮の始まりだそう。このような背景から必勝祈願・勝負運の他、八幡様由来の子孫繁栄、夫婦和合など、多くのご利益がある神社です。
鳥居の先に高層ビルが見えます
米軍統治下には教会敷地となっていましたが、1972年に敷地が回復し1993年に神殿が復元しました。
参拝した日は敷地内でイベントが行われていたためか御朱印をいただくことができましたが、社務所が開いている年末年始以外は波上宮で拝受することが可能です。
◆ 普天間宮(ふてんまぐう、宜野湾市)
普天間宮の拝殿
普天間基地の近くに鎮座する普天間宮。創建は社殿の裏にある洞穴に琉球古神道を祀ったことに始まり、また普天間宮を熊野三山の那智山飛龍権現に見立てて信仰していたことから、尚金福王から尚泰久王にかけての15世紀中頃に熊野権現を合祀したしたと言われています。
普天間宮の縁起伝承には、首里桃原に女神様が出現し、のちに普天間宮の洞穴に籠ったという伝承もあるそうですよ。
洞穴は本殿の奥に
洞穴は撮影禁止だったのであいにく写真はありませんが、全長280メートルにおよぶ鍾乳洞で内部には奥宮が祀られています。また洞穴内や周辺では沖縄貝塚時代の遺物や2万年前の動物の化石などが発掘されているそうで、1991年には宜野湾市の名勝に指定されました。洞穴は決して大きくはありませんが、神秘的な雰囲気に包まれていて不思議と気持ちが落ち着くような気がしました。
普天間宮の鳥居
◆ 金武宮(きんぐう、国頭村金武町)
金武宮の入口
琉球八社の中で一番北に位置するのが金武宮。創建当初から社殿はなく、金武観音寺の境内にある鍾乳洞全体が神として祀られているとても珍しい神社です。真言宗の日秀上人が、この日秀洞(にっしゅうどう)に金武権現堂を創建したのだそう。金武宮の御祭神も、熊野三神である伊弉冉尊(いざなみのみこと)・速玉男尊(はやたまをのみこと)・事解男尊(ことさかをのみこと)です。
金武宮
洞窟はかなり奥深くまで伸びており、十六羅漢像や大仏天蓋、菩薩の昇天図などに見立てられた鍾乳石を拝みながら進みます。神聖な気に満ち溢れていましたが、奥の方は1人では少し怖いかも?!足元も悪いので参拝の際は履きなれた靴でお参りくださいね。
なお金武宮の御朱印はなく、観音寺の御朱印をいただけます。
以上、前編・後編で琉球八社をご紹介しました!
レンタカーを利用すれば1日ですべて回ることもできるので、一味違う沖縄を楽しみたい方はぜひ参拝してくださいね。
スタッフ:TK
末吉宮(沖縄県神社庁HP)
安里八幡宮(沖縄県神社庁HP)
普天間宮公式サイト
金武宮(金武観音寺、金武町公式観光情報)
コメントをお書きください