沖縄・首里城の地下一帯に日本軍の第32軍司令部壕があったとは!


1944(昭和19)年3月、南西諸島の防衛を目的に第32軍が創設されました。 1945(昭和20)年3月、空襲が激しくなると第32軍司令部は首里城の地下に司令部壕を作り、米軍との決戦にそなえました。

 

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司令部壕は南北に横断するように掘られて、全長1㌔から2㌔の壕に1,000人以上の兵士がいたそうです。

 

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壁が崩れるなど危険なため公開しておりません。壕の中には、作戦会議室や参謀室・軍司令官室もあったそうです。聞くところによると、司令官室には青畳が敷いてあったとか?

 

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地上の琉球王国の遺産は復元されたが、負の遺産はこのままの状態なのかと思うと残念です。沖縄県としては司令壕の保存や公開を検討するも、数十億円の費用がかかるとみられ、計画は何も進んでいないとのことです。