江戸時代の建築当時の姿が今も残る都心の祈願寺~護国寺をじっくりと巡る

東京メトロ有楽町線の護国寺駅からすぐの場所に建つ護国寺。
駅には何度か利用したことがありますが、足を延ばしたことがなかった護国寺をゆっくりと参拝してきました。

 

◆ 綱吉公が生母の願いで建てた祈願寺


階段の上にそびえ立つ不老門

護国寺が建築されたのは天和元年(1681年)。徳川綱吉公が生母である桂昌院の頼みを受け、上野国(群馬県)の大聖護国寺の僧である亮賢に幕府所属の地を与えて建立を命じたそうです。桂昌院念持仏の琥珀如意輪観世音菩薩を本尊としています。
江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所でもあり、江戸時代には出開帳の宿寺として人気があったのだとか。

◆ 元禄時代の建築工芸の粋が集結した観音堂(本堂)


観音堂(本堂)

堂々たる姿の観音堂(本堂)は、元禄10年(1697年)正月の建築開始からわずか半年ほどで完成したと言われており、都内随一の大きさを誇ります。優れた棟梁や職人を動員して作られた和様・唐様の折衷様式には当時の伝統工芸がさまざまに散りばめられていて、徳川幕府の最盛期にふさわしい建物とも言われているのだそう。
その後震災や戦災という大きな災害に見舞われながらもほぼ創建当時のまま現存していることから、重要文化財にも指定されています。


重要文化財の月光殿

境内には多くの貴重な文化財がありますが、その1つが月光殿。
滋賀県大津市にある三井寺の日光院の客殿を護国寺に移築し、月光殿と呼ばれるようになりました。桃山時代の書院様式を伝える建造物として、国指定重要文化財に指定されています。どっしりとした佇まいが印象的ですね。

その他元禄4年(1691年)に建てられた薬師堂や、元禄14年(1701年)に再営された旧薬師堂を大修理して作られた大師堂、格式高い腰袴付重層入母屋造り形式の鐘楼など、歴史的にも価値のある建造物が多いのも護国寺の特徴です。

 

◆ 墓所になった境内地

護国寺は幕府の祈願寺だったので檀家がなく、このことで明治維新後は経済的に大変な苦境に陥ってしまったそうです。そのため明治天皇の第一皇子だった稚瑞照彦尊の死産をきっかけに5万坪の境内のうち東側の2万5千坪が宮家の墓所(豊島岡墓地)となり、また西側の5千坪は陸軍用墓地となったことで境内地が2万坪にまで縮小されたのだそう。豊島岡墓地はいまも護国寺に隣接した場所にありますが、陸軍墓地は護国寺墓地の一角に組み入れられています。

その後政府高官に働きかけ墓地の新設が認められたことにより、大隈重信、山形有朋などの政治家をはじめとする多くの著名人の墓所がのちに境内に造られるようになりました。鳥居が立つ墓所があるのは、こうした有名な人が祀られているからなのですね。


三条実美の墓所

大隈重信の墓所

山形有朋の墓所

 

暖かい日だったためか、白梅が花を咲かせていました。春はもうすぐそこまで来ているのかもしれませんね。

 令和5年は弘法大師空海上人の生誕1250年にあたるということで、通常の御朱印の他、記念御朱印もあったのでいただきました。細かい切り絵には感嘆するばかりです。


弘法大師の生誕1250年を記念した特別御朱印

車の往来も多い通りのすぐそばにある護国寺が、こんなに静かで厳かな雰囲気に包まれたお寺だとは思いませんでした。
記念御朱印は枚数限定とのことなので、参拝の際にぜひいただいてはどうでしょうか。

 

スタッフTK

護国寺公式サイト